映画についての雑感

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ソウルフル・ワールド レビュー : 人生の意味を見つめ直す

2021年最初に観た映画はディズニー・ピクサー合作 ソウルフル・ワールドでした。本来は劇場公開される予定でしたが、Disney+での配信での公開になってしまいました。同じような形で配信のみになった”ムーラン (2020)” と異なり、こちらは追加費用なしで見られます。

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© 2021 Disney and its related entities

物語の舞台はアフリカ系アメリカ人で、ジャズピアニストを夢見る非常勤講師である主人公 ジョーが生きる現世と、生まれる前の魂たちが暮らす生前・死後の世界、それぞれが描かれます。ファンタジックでありながら無機的な生前の世界を表現した画期的なアニメーションは、脚本・監督を担当したピート・ドクターの監督作 インサイド・ヘッド (2015)”を彷彿とさせます。”インサイド・ヘッド”同様に科学的考証に基づいた描写も魅力ですが、今作はそれ以上に、静かに人生の意味を見つめ直すハートフルな作品でした。子供から大人まで楽しめる傑作、むしろ、一見して気づきにくい本作が扱う重大なテーマは、大人向けと言えるかもしれません。


<目次>

あらすじ

公式サイトより引用します。

もしも、この世界とは違う“どこか”に、「どんな自分になるか」を決める場所があったとしたら…?
ニューヨークに住むジョー・ガードナーは、ジャズ・ミュージシャンを夢見る音楽教師。ある日、ついに憧れのジャズ・クラブで演奏するチャンスを手に入れた直後に、運悪くマンホールへ落下してしまう。彼が迷いこんだのはソウル(─魂─)たちが暮らす世界で、彼自身もソウルの姿に…。そこは、ソウルたちが生まれる前に、どんな性格や興味を持つかを決める場所。でも、22番と呼ばれるソウルだけは、人間の世界が大嫌いで、何の興味も見つけられないまま、もう何百年もこの世界にいた。まるで人生の迷子のように生きる目的をみつけられない22番と、夢を叶えるために何としても地上に戻りたいジョー。正反対の二人の出会いは、奇跡に満ちた冒険の始まりだった…。


<ソウルの世界>とは?
人間として生まれる前のソウル(魂)たちが暮らす世界。ここにいるソウルは無垢で何にも染まっておらず、名前もないため、番号で呼ばれている。
まだ何も知らず、何を目的に人間になるのかわからないソウルたちは、音楽や文学、化学、体操といった様々なことにチャレンジし、夢や情熱、興味など自分の人生を輝かせてくれる“人生のきらめき”を見つけることで、人間の世界に生まれることができる。だが、“こじらせ”ソウルの22番は、そこに何百年も居座り続け、自分のやりたいことやきらめきを見つけることができずにいた。


ユー・セミナー
人間になる前、名前のない新しいソウルが全員受ける講習。人間界で経験を積んだソウルを師匠に、新しいソウルたちはさまざまなことを教わり、きらめきを見つけることが目的。22番はこれに何度も参加しているが、どんな偉人の師匠をつけても反抗して、人間になることを拒んでいる。


スタッフ・キャスト
監督はピクサー・アニメーション・スタジオを率いるピート・ドクター。「モンスターズ・インク」「インサイド・ヘッド」などイマジネーション溢れる感動作を数々生み出してきた彼の集大成とも言える本作は、本年度のカンヌ国際映画祭オフィシャル・セレクションにも選出されている。

キャスト:ジョー役 ジェイミー・フォックス/22番役 ティナ・フェイ
スタッフ:監督 ピート・ドクター

Disney + ”ソウルフル・ワールド” 紹介ページより

disneyplus.disney.co.jp

感想 (ネタバレ)

物語は主人公ジョーと、生前の世界に住む魂 「22番」が中心になります。この22番がこの物語のキーパーソンです。ジャズピアニストとしてステージに立つ夢を叶える直前に事故により命を落としたジョーは、現世に戻る為に生前の世界に22番の魂のメンターとして潜り込みます。メンターの役割は、生まれる前の魂が自分自身の「煌めき」を見つける手助けをすること。


とにかく演出、見せ方が上手く、引き込まれます。生前の世界で22番の煌めきを見つけるため、ジョーが自分の人生の博物館のような場所を訪れ、自分の惨めな半生を見せつけられる場面と、最後に同じ半生を別の目線で回想する感動的な対比。ジョーの行きつけの理容室の、アフリカ系アメリカ人の溜まり場としてのリアルな雰囲気(実際に共同脚本を務めたアフリカ系のルーツを持つケンプ・パワーズがこの場面を描くことに拘ったそうです)。


アニメーションそのものもファンタジックな生前死後の世界と対比する形で描かれる現世の描写は、ピクサーの写実的なCGアニメーションの真骨頂というべき圧巻の映像です。生前の世界で煌めきを見つけられずにいた22番が、ジョーの身体で現世に出てきてしまい、そこでの経験を通じて煌めきを発見する場面、風にそよぐ木々や色付いた葉っぱを見上げる美しさは正に本作の名場面と言えるでしょう。


その場面でジョーが22番に言い放つ言葉、「そんなのはただの日常だ」ただ生きるだけには意味はないと説くシーケンスが、逆説的にテーマを際立たせています。


驚かされるのは前半に出てくる、生前の世界での魂たちの描写です。やんちゃさや慎重さのような特性、そして前述の「煌めき」は生まれる前の魂にインストールされているように描かれるのです。


この描写は優生説を連想したのですが、実際は異なります。
近年の研究では、性格の形成には先天的要素と後天的要素が相互に影響しあっているという考えが一般的になっているそうで、子育ての教科書などにも、生まれ持った「気質」と環境に左右される後天的な「性格」という形で表現されていたりします。


22番の魂は生まれる前に色々なことを知り過ぎているので、ちょっと象徴的な存在というか、現実に即しているというよりは、産まれた後の赤ちゃんやもう少し自我が芽生えた子供も内包した存在だと思いますが、前述の「気質」的なものに由来する「煌めき」を見つけられない彼女は当初は現世に意味を見出せないでいます。


しかしこの作品は、(現世で)生きる意味は、先天的な気質が決めるものではない、生きる意味は、生きていく中で経験することを通してどう自分を形成し、外の世界の中で存在していくか— すなわち生きる意味は、”生きること”だ、生きることそのものが感動的で、価値があることだと、数々の感動的な演出を通して、力強く訴えています。


対比的に描かれる生前の世界と現世とは、近年の性格や心理学に対する研究の世界と、それを現実世界で生きる上でどう捉えるかという哲学や芸術の世界との対比とも言えるのではないでしょうか。そう思うと、この作品が描いたものは非常に価値あるものに感じられます。








↓オリジナルサウンドトラック : 近年のデビッド・フィンチャー監督作でお馴染みのトレント・レズナー / アッティカス・ロスがなんと担当しています。無機的な生前・死後の世界のエレクトリックサウンドの不穏さは一度聞いてみる価値あり!


↓関連作 インサイド・ヘッド : こちらも子供の脳内を舞台に、さまざまな感情たちが主人公という驚くべき設定のアニメーションです。



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