映画についての雑感

最新作から、懐かしい80, 90, 00年代の映画の思い出や、その他、海外アニメや小説、ゲーム、音楽などの雑多で様々な芸術作品について

ミセス・ノイズィ、と愛のむきだし

先日、Netflix『ミセス・ノイズィ』が配信されていた。公開時に少し話題になっていて、映画評論家などが褒めていた記憶があったので、そこそこ楽しみにしてました。本稿は『ミセス・ノイズィ』、そして園子温監督の2010年の映画愛のむきだしについてのネタバレを含みます

f:id:minefage21:20211206213720j:plain
©「ミセス・ノイズィ」製作委員会

監督 : 天野千尋
出演 : 篠原ゆき子、大高洋子


ミセス・ノイズィ

この映画、見る前の事前知識は前述のとおり、うろ覚えの「評判」くらいで、現実にあった「引っ越しおばさん」事件をモチーフにしていることで話題になったんだ、くらいしか知りませんでした。評判の感じからして、何となくブラックジョーク多めの社会派コメディなのかな、って思ってました。週末に軽い気持ちで見るにはちょうど良いかな、という感じで。

で、結論を言うと、全然違う映画でした。再現ドラマのようなおざなりな演技と演出で、言われるまでもないような安っぽいテーマ、そして最後はちょっと泣かせよう的なメロドラマ。全編通じて、浅はかとしか言いようがない雰囲気で、見ていて何度かイライラしてしまった。あまりにも安っぽいので、途中まで『カメ止め』みたいな自主制作映画なのかと思ってましたが、割と有名な役者さんが出てきたので商業映画であることにビックリしたくらいです。

まぁ、でもコメディ映画として面白いシーンがないわけでもない。主人公の旦那であるステレオタイプなダメ男が、小説描き終えた記念だと言って主人公にワインを用意するシーン。グラスが無いならこのまま飲めばいいじゃない? と言った先に自分で口つけて飲み始めるところとか、あまりのクズっぷりに笑った。(しかし全編通してみると、この男は割と常識的なところもあり、それがまたなんかムカつく笑)あとラストの大家さんの犬の表情とか、娘役の子役のあまりに棒な演技で「良い台詞」言う感じとか・・・かな。

もうちょっと真面目なテーマ的なところについて触れると、この映画は「視点を変えれば善悪の見え方も変わる」「(当時のテレビやメディアなどを指して)普通の市民をネタにして楽しむってどうなの?」みたいなことを言っているのですが、それを表現するには雑すぎる一面的な描き方(引っ越しおばさんは実は面倒見のいい良いおばさんでした、とか)はちょっとなーと感じました。結局今の日本社会的な”善”の押し付けになっており、オバサンが良い人なのに一方的な切り取りで社会的に虐めるのはおかしい => じゃあオバサンが本当にオカシイ人だったら社会的に制裁を加えて良いかも、ってなっちゃわない? と感じました。個人的には、本当に描くべきは実際に社会的には悪とされるオバサンを、しかしテレビやメディアや野次馬が勝手に断罪するのはやっぱりおかしくないですか? 危険じゃないですか? っていう問い掛けこそが欲しかったな。映画とか文学とかが描く物語的な芸術作品というのは、もっと多義的な事柄を、もっと容易に答えの出せない問いを、描くべきかなぁ、と個人的には思います。

更にいうなら、主人公は小説家という文学に携わる者であり、劇中で受賞したと言われている新人賞が「文藝賞」みたいな名前だったり、そのタイトルが「種と果実」だとか、いわゆる純文学系の作家のようなのに、上記のような人間の多面性を理解せずに一方的にオバサンを攻撃する。設定にリアリティがない気がしたな。

それに二つ目のテーマ「(当時のテレビやメディアなどを指して)普通の市民をネタにして楽しむってどうなの?」っていう一見社会的なテーマが、とんでもなく欺瞞的で、ここにすごく違和感を覚えました。特にラストシーンで騒動の顛末を書いた劇中小説「ミセス・ノイズィ」をオバサンに送りつけるシーンは、サイコパスな行動にしか見えないのに何故かホロリと泣かせる場面のように演出されていることに、この映画のクリエイターの認識を疑ってしまった。ここでもまた普通の市民をエンタメの餌にして一儲けするの? と。おそらく無自覚だからこそ、空恐ろしい思いがしましたね・・・。現実の事件から都合のいい設定やイメージだけ拝借して、それでいて明らかに現実のモチーフをイメージさせるように誘導、宣伝しておきながら、現実の事件に事実と異なるニュアンスを与えるというのはちょっと、嫌でした。まぁ本当に引っ越しオバサンさんが本当は面倒見のいい女性で、騒動についても最終的には和解されてこの映画についても最初に見てもらい満足してもらってる、とかの裏エピソードがあるんだったら良いのかもしれませんが。

実は久々に邦画を見たんですが、ちょっと残念な内容だったので、不安になりました。邦画ってこんなだったっけ? と・・・。

愛のむきだし

そういう訳で不安を払拭しようと、全く何の関連もないけど、同じNetflixに入っていた10年以上前の園子温監督の映画愛のむきだしを立て続けに見た(こちらは再見)のですが、これが改めて見ても面白かった。

まず脚本家としての園子温の台詞の面白さ、そして役者の演技が光ってる。

「どうして私のこと、分かったんですか?」
「——匂いだよ」
「匂い?」
「そうさ、
・・・原罪の匂いさ」

このシーンめっちゃ笑ったな。先生を演じているのがカルト漫画家の古屋兎丸だったと最近知ったのですが、この棒読み演技と雰囲気の気持ち悪さがたまらない。「原罪」だとか「イエス・キリスト」「礼拝」「告解」みたいな宗教用語が非常にカジュアルに使われていて、ゆらゆら帝国の名曲「空洞です」が何度も何度も流れ、劇中のキリスト教系カルトでは賛美歌としてミサで合唱される笑。下品な笑いも多いけど、とにかくもまずコメディ映画として楽しい。

ゆらゆら帝国「空洞です」

テーマだと思われる、「愛のむきだし」というか、無償の愛=アガペーだけではなく、非常に能動的な愛について描いているというか。キリスト教の聖書が言う神の愛はアガペーと呼ぶそうなのですが、元となっているギリシャ語では愛はアガペーを合わせて4つ、エロース (性愛)、フィリア (隣人愛)、ストルゲー (家族愛) があるそうですが、この映画のテーマは正にこの四つですね

まぁでもそんなことは、4時間もの映画を見ている間は割とどうでも良くて、ブツブツに分かれている感もある一つ一つの場面の面白さこそが魅力ですね。満島ひかり演じるヨーコ、男性を嫌悪している彼女が道を歩いているヤンキー風のお兄さんたちに襲いかかり、「男! 男!」と叫びながらボコボコにする場面とか、ただ笑ってしまう。

最後の場面も面白かった。何故か和解し、お互いに求め合ったヨーコと主人公のユウは、お互い再会するために周りの全く関係ない人たちの首を絞めたりパトカーの窓を割ったり、暴れ回る。なんか確かに愛を感じました。

本作や園子温についてはもっと色々触れたいところはあるのですが、古い映画だし、今回はおまけと言うことでこのくらいにしておきます。