映画についての雑感

最新作から、懐かしい80, 90, 00年代の映画の思い出や、その他、海外アニメや小説、ゲーム、音楽などの雑多で様々な芸術作品について

ラーヤと龍の王国 : ラーヤは一体何を信じたのか?

先日、映画館で鑑賞しました。エヴァンゲリオン人気で混雑してるかなと思ったけど、日曜の夜だったこともありガラガラ。ラーヤはディズニーが日本の映画業界とちょっとトラブってるらしく、大手シネコンで上映されない事態に陥っていて、近年のディズニー作品と比べると上映館も広告もすごく少ない。ですが、観た方ならお分かりだと思いますが、ディズニー近作の中でも絵作りやアクション、メッセージ性などかなり意欲に富んだ作品です!

実際この作品、批評や宣伝では「新しい」とか「現代的」だとか「アップデートされた」などと評されることが多いのですが、何がどう新しいのか、特徴的なのか。宣伝で言っている「信じる」とは、一体何を信じたのか? ネタバレありで述べてみます。

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ラーヤと龍の王国 ポスター©Disney


<目次>

作品紹介 (公式サイト)

ディズニーの新たなヒロイン誕生!
—彼女の名は、ラーヤ。“ひとりぼっち”の救世主。


イントロダクション

その時代に生きる人々を象徴するかのようなヒロインを描いてきたディズニー映画。<王子様を待つヒロイン>は時代とともに個性と強さを持つようになり、自らの力で立ち上がり、観客一人一人の背中を押してくれる大きな存在となってきた。
世界中に大旋風を巻き起こし新たなるプリンセス像を確立した『アナと雪の女王』のエルサとアナ、ヒロインの心情を歌い上げる楽曲と共に大きな共感と感動を呼んだ『モアナと伝説の海』のモアナ。待望の続編として大ヒットとなった『アナと雪の女王2』に次ぐ最新作となる本作からは、さらに新しいディズニーのヒロイン像を予感させる孤高のヒロイン “ラーヤ”が誕生した。
ラーヤは、聖なる龍の力が宿るという<龍の石>の守護者一族の娘。遠い昔に姿を消した “最後の龍”の力を蘇らせ、再び世界に平和を取り戻すため、一人旅立つ――

“ひとりぼっち”じゃ、世界は変わらない―
彼女の名はラーヤ。
バラバラになった世界の“最後の希望”。
自分だけを信じ、“ひとりぼっち”で生きてきた彼女は、
“伝説の龍”の魔法を蘇らせ、仲間を信じることで、世界を取り戻すことができるのか?


ストーリー

その昔、この王国は聖なる龍たちに守られ
人々は平和に暮らしていた
邪悪な魔物に襲われた時
龍たちは自らを犠牲にして王国を守ったが
残された人々は信じる心を失っていった…

500年もの時が流れ
信じる心を失った王国は、再び魔物に襲われる
聖なる龍の力が宿るという<龍の石>──
その守護者の一族の娘、ラーヤの旅が始まる。
遠い昔に姿を消した “最後の龍”の力を蘇らせ
再び王国に平和を取り戻すために…


スタッフ

監督:ドン・ホール(「ベイマックス」)、カルロス・ロペス・エストラーダ(「ブラインドスポッティング」)
製作:オスナット・シューラー(「モアナと伝説の海」)、ピーター・デル・ヴェッコ(「アナと雪の女王」シリーズ)

公式サイトより
www.disney.co.jp

併映 短編映画 『あの頃をもう一度』
ディズニー映画最新作『ラーヤと龍の王国』と同時上映決定!短編映画『あの頃をもう一度』|映画|ディズニー公式

物語を通して描く理想の姿

物語を語るなかで「こういう風にありたい」という1つの理想を表現する、カートゥーンネットワーク"スティーブン・ユニバース"が典型的だと思いますが、アメリカの子供向けアニメの一つのトレンドになっているのではないでしょうか。ディズニー最新作 ”ラーヤと龍の王国” は正にそんな作品でした。

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ラーヤと龍の王国 ポスター©Disney

個人的な怨恨と故国の利益の為に敵対する2人 主人公ラーヤと敵国のプリンセス ナマーリを軸に、自分たちの身の安全の為にお互いに警戒を強め、憎しみ合う国々を俯瞰的な視点で描き、対立の全体像を示してみせる。そしてその対立が、かつてドラゴン達が命懸けで封じ込めた不気味なモンスター、ドルーンを復活させてしまう。
不気味なモンスター・ドルーンは猜疑心や憎しみが実体化したものであり、多くの人々がそれを持ち続ける限りなくなくならない。ドルーンに飲み込まれると人もドラゴンも石像の姿に変わってしまいます。ドルーンはビジュアル面での不気味さも特徴的で、絶えず蠢いている実体のない影のような存在。実在感ある人間たちと一緒に映っても違和感なく、CGアニメならでは恐怖感のある表現です。


物語を駆動するのは、強大な魔力によりドルーンを封じ込め、姿を消した伝説のドラゴン、シスーの謎と、その魔力を封じ込めた龍の石のカケラを巡る奪い合い。龍の石の魔力は、カケラでもドルーンから自分の身を守ることもできる程強い。登場する架空の国々は、国の安全の為、その石のカケラを自分たちで囲っておこうと躍起になっています。そう言った現実世界の暗喩のような世界観をまず提示した上で、ひとつひとつ丁寧に、別の見方を提示していくのが本作の趣旨になります。戦いや魔力の源である龍の石のかけらを奪い合うトリックを主題にするのではなく、憎み奪い合う人たちの中にある日常や普通の人間らしさ、主人公と同じような喪失を見せることで、和解への希望を見せるのです。

憎み合うナマーリとラーヤ、そして伝説の龍シスー

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ナマーリ©Disney

主人公ラーヤと敵役のナマーリは、子供の頃は伝説の龍シスーへの憧れという共通項を持っていましたが、敵対する国のプリンセス同士であったことが幼い2人にとって受難でした。卑劣な性格のナマーリは国のためにラーヤを騙し、それがきっかけでドルーンが復活する事態になり、ラーヤの父親はドルーンに飲み込まれて石の姿になってしまいます。結果、ラーヤは裏切り者のナマーリに深い恨みを抱き、お互いに憎しみをぶつけ合う存在になります。この2人の関係性や、行く先々で剣をぶつけ合い戦う場面はアクション的な見どころ満載、そしてディズニーらしくないヒロイン像で、綺麗なCGアニメで描かれる2人の決闘は絵的にもエモーショナルな意味でも本作の魅力でしょう。


ですが、もちろん戦いの勝ち負けがこの物語のテーマである筈はありません。ラーヤが見つけた伝説の龍シスーは2人の問題は戦いでは解決しない、話して解決の糸口を探そうとラーヤに伝えます。

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ラーヤとシスー©Disney

この龍シスーのキャラクターがコメディリリーフとして面白い。そして哺乳類的なフワフワした毛並みが可愛い! 強大な魔力を持つ正義の龍として神格化されていたけれど、本当の姿は"ファインディングニモ"のドリーのようなちょっとズレた中年女性。ことあるごとにラーヤと意見が噛み合わない。得意なことは泳ぎだけ、っていう変なドラゴン。でも茶目っ気たっぷりにそのズレが描かれるけれど、それもドラゴンと人間は全く違うから生まれる認識のズレだよ、って明示されるのが今どきですよね。最近のディズニー映画はこういう風に物語を通して多様性を積極的に伝えていこうとしていて、いいですね。

シスーの力

この妙なドラゴンのおばさんシスーがなぜ、かつて世界を救う鍵となったのか。この部分がこの作品のコアとなる思想です。彼女はちょっと間抜けなところがあるけれど、どんな時でも相手の善性を信じることができる能天気さ、優しさを持っていたからです。それは昔々シスーが救世主となった時代にも、ラーヤやナマーリがいる現代でも、やっぱり稀有なものです。でも、シスーは言います。

「誰でも良かったのかも」

文脈は違うのですけど、正にそれこそがメッセージです。特別な存在が持つ魔法の力ではありません。誰でも持つことができる可能性がある力です。


それを伝えるのが終盤、かつてドラゴン達がドルーンに追い詰められたときと同じように、ラーヤと仲間達、そして敵のナマーリがそれぞれが持つ石のカケラを頼りに身を守るしかない状況に追い込まれた場面になります。自分の石を失えば直ぐにドルーンに飲み込まれてしまう、しかし石のカケラでは大きな魔法は使えない、でもカケラを集めて元の龍の石に戻せば世界を救えるかもしれない。しかし、誰もナマーリが大人しく石を渡すとは思っていないし、ナマーリもまた同じです。力を持っていたシスーが、ドラゴンの力を独占しようとしたナマーリによって誤って殺されてしまったからです。


冒頭から執拗にナマーリの裏切りや冷酷さを描き続けたこと、ナマーリが(オーディエンスも含めて)みんなが愛するシスーを殺したこと。しかしそんなナマーリも自分の国では子供達から慕われる勇敢なプリンセスであること。そして彼女も、本当はドラゴンが大好きな女の子としての面を持っていること、それらを丁寧に描いてきたからこそ、この葛藤にはリアリティがありました。


シスーの残したメッセージが心に刻まれていたラーヤは、最終的にナマーリの善性を信じる決意をし、自ら石のカケラをナマーリに差し出してドルーンに飲み込まれます。ラーヤは、自分が全く無抵抗であること、ナマーリを信じる為に命を差しだす覚悟であること、そしてナマーリの意思を尊重することを行動によって伝えたからこそ、ナマーリもまた、彼女を信じることができました。


この、敵の心の奥底の善意を信じるというシーン、今までのディズニー映画にはあまりなかったと思います。
ディズニーの近作やピクサーが描く物語は魅力的で教示に富んだものが多いですが、相変わらず悪役が悪役然として登場するところがちょっと気になっていました。分かりやすく目的意識のあるストーリー展開の為に仕方ないんでしょうが、"トイストーリー3""ズートピア"のような倫理的な要素のあるお話しにさえ、やっぱり倒されるべき悪役が出てくることに違和感ありました。


本作のこの展開は、彼女たちの激しい怨恨や戦いに意味を与えた、紛れもない名シーンと言えるでしょう!


最後に、ラーヤを語る上で最後にもう一つ触れておきたいのは、東南アジア系の肌の黒いアジア人が主人公たちであるということでしょう。”ムーラン”もそうでしたが、同じアジア人としてこういう作品やヒロイン像が描かれるというのは、単純に嬉しいですよね。



ディズニー・ピクサー"ソウルフル・ワールド"レビュー
numbom2020.hatenablog.com

冒頭で触れた”スティーブン・ユニバース”は別のブログで書いていますので、興味ある方は読んでいただけると嬉しいです!
minefage21.hatenablog.com