映画についての雑感

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DUNE / デューン 砂の惑星 レビュー (パート2) : 運命論と反出生主義

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『DUNE / デューン 砂の惑星レビュー後半です。前半はこちらです。

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ネタバレなしプレビュー記事はこちら、関連作も紹介しています
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以下、ネタバレありです。

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©️ WARNER BROS PICTURES

選ばれし者であるポールによる「反出生主義」

対して、ポールはいかなる人物なのでしょうか。
ティーンエイジャーらしいあやふやな自己意識と、両親、特に母に対する少しばかりの疑問や反抗心を抱いた子供。彼が夢で見たビジョンーー前半は幻覚のように、後半に行くにつれハッキリとした意識として描かれるーーの意味を探り、能動的に動き出すことが物語の原動力となっています。

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©️ WARNER BROS PICTURES

ポールはビジョンについて、陶酔にも似た不思議な魅力を感じています。やけに具体的な夢を見る、夢で見た出来事が現実になっている気がすると言った感覚に、フレメンの少女チャニとのロマンチックな邂逅が重なります。

しかし、先述のように砂漠の香料によってそのビジョンーー未来視の力の正体をハッキリと自覚した時、彼が抱く感情は恐怖です。砂漠で母ジェシカと取り残されたポールは鮮明な未来のビジョンを目にします。・・・ポールは父レトアトライデス亡き後に公爵の地位を引き継ぎ、ベネゲセリットの強大な力とフレメンの軍事力を得ています。ハルコンネン家、そして皇帝を倒す聖戦を率いて勝利を手にし、故郷カラダンへパートナーとなったチャニらと凱旋するビジョンを目にします(予告編にある場面ですね、何というミスリード!)。

スターウォーズでは当たり前のようにハッピーエンドとして描かれそうな場面ですが、ポールが感じるのは、自らの名の下に戦争が始まり、自分達のエゴの為に多くの血が流れること。何度もフラッシュバックされる、火を付けられた死体の山のシーン・・・。そして、その犠牲のもと、自身が権力の座に着くこと。新たな統治者として世界を支配する宇宙の「救世主」という人生。それに対する強い嫌悪感です。

彼の出生前からその運命を託し続けた母親ジェシカとその教団ベネ・ゲセリットに対する強い拒否感は、レビュー前編の最後に述べた通りです。僕がこのポールのキャラクター性を巡る描写から感じたのは、近年世界中で俄かに注目を集める思想、反出生主義というテーマでした。

反出生主義というのは、アンチ・ナタリズム (Antinatalism) の翻訳語で、親が子供を産み出さない、子供側から見ると、産み出されない (≒産まれたくなかった) という主義全般を指す思想で、昔から有る思想の一潮流ですが2000年代にデビッド・ベネターの著作『生まれてこないほうが良かった 存在してしまうことの害悪 (Better Never to Have Been : The Harm of Comming into Existence)』が注目を集め、近年はSNSなどを通してカジュアルな形にも翻案されて広まりつつあります。

本作のベネ・ゲセリット、そして母親ジェシカと子ポールの関係は、その中でも同意不在論(※生まれる子ども本人から出産の同意を得ていない、という問題)を強く想起させました。彼が望む望まざるに関わらず、フレメンとアトレイデス家を率いてベネ・ゲセリットの信仰に基づく”人類の救世主”となる為に生み出されたという事実。その予め定められた”運命”に対して無力な子供であるポールの視点からこの物語は対峙していきます。素晴らしいと思うのは、”こんな風に生きたくなかった、こんな力欲しくなかった”という自身の存在に対するネガティブな思いと、当初この特別な力を持つギフテッド(Gifted)であることに気づき始めた彼が、自分が持つその力に興奮や陶酔を覚えたり、嬉しく感じたりしていることも同時に描写されていることでしょう。それは彼の恵まれた地位に関する誇らしさも同様です。彼が「彼」として存在することが彼に与えた良い面、悪い面ともに描かれています。ただ、そこに「問題は存在する」ということを露わにしているのです。


思えばヴィルヌーブ監督は、カナダ時代のインディーズ映画静かなる叫び』(2009)*1から一貫して、出生と反出生、運命論についての物語を描き続けています。静かなる叫び』は冒頭とラストで母親に宛てられた手紙が登場し、母に対して出生の是非を問いかける内容となっています。

静かなる叫び(字幕版)

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先のベネ・ゲセリットはいわば極端なナタリズムーー出生主義者であると言えます。その目的は個としての人間を捨て、種族としての人間の価値を高めるという、ある種おぞましいものです。アートブックでも卵の形をしている宇宙船のデザインなどの暗喩が示されていましたが、そんなベネゲセリットの申し子であるポールが自らの出生に疑問を投げかけるのは、ある意味では自然にも感じます。

ベネ・ゲセリットの宇宙船が卵型ーー繁殖力の象徴ーーであるのは、単なる偶然ではない
~アート・アンド・ソウル・オブ・DUNE / デューン 砂の惑星

反出生主義、運命論といった思想を根底に感じさせながら、クライマックスは彼がビジョンで見た「運命」に逆らい、フレメンの戦士ジェイミスを殺す場面が描かれます。

ポールがフレメンの戦士ジェイミスの決闘を受け、人を殺したことのない彼が遂にその手に血を受けるこの場面は、本作のテーマを鮮明にしているのではないでしょうか。

ヴィジョンが繰り返し見せた運命に導かるままであれば、ポールはこの決闘で死ぬはずでした。ベネ・ゲセリットの本能のような内なる声も、ジェイミスを殺してはいけないと伝えていました。しかし声に逆らい、ポールはナイフを使ってしまいます。運命≒未来は確定しているものではなく、それもまた選択の結果に過ぎない、選択するのは自分自身なのだと暗示しているのです。

しかしこの場面は痛みを伴う場面でもあります。その選択が他者を殺すか殺さないかという暗喩的なものであったように、選択するということは殺すことでもある両義性を描いています。それを明確にするように、最後の場面で決闘するジェイミスというフレメンの戦士は、ポールのビジョンでは何度もフレメンの兄貴分として登場していました。彼と友人になり、フレメンの文化を分かち合う未来もあったのです。

このクライマックスの展開は彼が決闘に勝ち、フレメンの面々に仲間と認められた場面ではありますが、監督はその高揚感よりも彼の選択による殺人の生々しさと、一線を超えてしまった喪失感こそを前面に押し出します。

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©️ WARNER BROS PICTURES

フレメンの、そして人類の救世主になること、来たる戦争の勝者となることを宿命付けられている少年が、その英雄譚の第一歩を記した瞬間として描かず、彼の内面的な苦闘こそを描いたのです。そして恐らくこの苦闘は終わっていない、己の未来の為に選択を行うことは、ますます倫理と感情と使命との間で苦しみ続けることであるのでしょう。

しかし、未来は自分の手で選び取ることができるのだ、というメッセージでもあるのです。

最後に、驚くべき構成について

この映画は、観る者を呆然とさせる魔力があります。ドゥニ・ヴィルヌーブ監督の他の作品同様、言葉で語らず説明をしないので、観客である僕たちはただ観て感じるしかないからでしょうか。この作品があまりに体感的で、一歩離れた視点から考えることが難しいからでしょうか。

この映画を見た人が他の人にも「見て感じてほしい」と言っているのをSNSやレビューで目にしましたが、その気持ちは良くわかります。この「感じ」は言葉で伝えることがとても難しいのです。僕の拙い言葉で説明を試みると、自分のフィルターを通して、自分のボキャブラリーで言葉にした途端、映画が持っていた多種多様な概念や魅力が零れ落ちて、どこかへ消えてしまうのではないかと感じるのです。まるで掌から零れ落ちる砂のように。

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最後に、驚くべき構成にも触れないわけにはいかないでしょう。映画のラストでアラキスの原住民の少女チャニが「これはまだ始まりにすぎない (This is only the beginning)」と告げ、エンドロールが流れ始めたとき、僕自身、心の中では圧倒されて言葉も出ない思いで一杯になりました。本作を見る前に感じていた不安の二つ目が、これが前編に過ぎないということだったからです(冒頭で”Part One”って出た時もヒヤリとしました・・・)。かの『ロード・オブ・ザリング』シリーズのように、最初から続編も含めて計画された前編ではなく、本作の興行収入次第で続編制作が決まる状態、僕が鑑賞した時点ではまだ続編は決定していなかったのです*2。それなのに関わらず、1作で全く完結しない構成となっており、物語のど真ん中で惑星デューンから現実へ引き戻された僕の感情は、まさしく「今すぐ続きを見せてくれ!!」でした。物語として普通に考えて、ファーストカットから幻影のように登場していたフレメンの少女チャニとポールが初めて相対する場面が殆ど映画の終盤というのも凄いですよね•••。

そしてあのラストを目の当たりにして、チャニのセリフは作者であるヴィルヌーブ監督から僕たち観客へのメッセージであることに気づき、とんでもないライブの最中に自分達はいるのだと認識しました。大袈裟ですが、あの瞬間、”Part Two”が製作されるかどうかは僕ら世界中の『デューン』の観客に委ねられていたのです。『デューン』の冒険に僕らはもう参加しているんだよ、というナラティブな作品だったのです。

ドゥニ・ヴィルヌーブ監督オススメ作品

現代のハリウッドを代表するクリエイターの1人であるヴィルヌーブ監督。近年は大規模予算の超大作を手掛けながらも、優雅で詩的な感性で描かれる作風が魅力的で、芸術性とエンターテイメント性の融合という意味では現在の映画界において唯一無二の存在と言っていいでしょう。ドゥニ・ヴィルヌーブ監督は数少ないフィルモグラフィの中で『DUNE / デューン 砂の惑星』以外にも名作を生み出しています。過去作は配信等でも気軽に観られるものも多いので、興味あれば『デューン』に合わせて是非!

ブレードランナー2049 (2017)

現在のところヴィルヌーブ監督の最高傑作の一つと言っていいのではないでしょうか。フィリップ・K・ディックのSF「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を映画化したリドリー・スコットの伝説的作品『ブレードランナー』(1982)の続編でありながら、原作、映画それぞれと思想的接点を持ちつつ、21世紀の作品として機械=被造物と人間との違いは何かという哲学的テーマを詩的に描き出す。愛と自身のルーツを求め彷徨うアンドロイド達の姿が哀しい。ヴィルヌーブ監督の故郷カナダの寒々しい冬の風景を連想させる、雪の降る幻想的なディストピア描写も魅力的。

メッセージ (2016)

ヴィルヌーブ監督の名声を決定的にした一作、アカデミー賞作品賞にもノミネートされました。哲学的なSF短編「あなたの人生の物語」(テッド・チャン著、ハヤカワ文庫)をハリウッドスケールの大作に翻案しながらも、その精神性、思弁性を見事に映像表現に変えてみせた名作。異星人との対話を通して、言語と思考、時間の関係、そして出生や運命といったヴィルヌーブの長年のテーマが渾然一体となって描かれる。

プリズナーズ (2013)

アメリカの保守的な田舎町で幸せに暮らしていた一家を襲ったある悲劇的な事件を起点に、良き父親だった主人公ケラー (ヒュー・ジャックマン) は変貌していく。事件の顛末と犯人探しという典型的なクライム・サスペンスがストーリーの主軸に置かれており、緊張感あふれる演出力で観る者をぐいぐい作品の世界に引きこみます。そして一級のサスペンス映画というだけではなく、ヴィルヌーブ監督が描くのはごく普通の人々が善悪の境界線上に立たされ、その中で彼らの信念、より宗教的な意味での信仰、もっと稚拙な意味での思い込み、あるいは願い、それにすがる姿です。







*1:1989年にモントリオール理工科大学で起きた銃乱射事件をモチーフにした作品

*2:既報の通り無事アメリカでの興行が成功して23年の続編公開が決まりました